ドクターインタビュー

一人ひとりに最適ながん治療を

一人ひとりに最適ながん治療を

院長(外科)井上靖浩

外科ドクターインタービュー

院長(外科)井上靖浩

社会の高齢化とともに2人に1人が癌に罹患する時代となり、中でも大腸癌は日本人の女性における癌死亡理由の第1位となって久しくなります。一方で、新たな抗癌剤の開発や手術だけでなく複数の治療法を組み合わせた集学的治療の進歩で消化器癌の治療成績は大きく改善してきました。今回、大腸癌に対する遠山病院での取り組みや目指す医療の形、日々の診療に対する思いなど、日本消化器外科専門医、消化器がん外科治療認定医、日本がん治療認定機構がん治療認定医で、大腸癌治療ガイドライン作成にも携わられた井上靖浩院長にお話を伺いました。

大腸癌について教えてください。

本邦での大腸癌罹患数は今なお増加を続けており、2018年の報告(国立がんセンターがん情報サービス)では、年間15万人を越える方が罹患し、約5万人が大腸癌で亡くなっていることから、国を挙げて対策が進められてきました。一方、大腸癌は早期の段階で治療を行えば高い確率で完治することが可能な病気です。このため、検診による(とくに40歳以上から)早期発見・早期根治手術が肝要で、当院では健診センター、内視鏡センターがその役割を担ってきました。ここ20年近くにおいては、年間3000例以上の下部消化管内視鏡検査、300件以上の内視鏡下大腸ポリープ切除術を施行し、大腸癌予防、早期発見に貢献しています。
大腸癌は、たとえある程度の進行が見られたとしても、他臓器に転移なく、リンパ節郭清を伴う根治手術が可能であれば、多くの方が完治します。ただし、郭清したリンパ節に癌の転移が見られるステージⅢの場合は約3割の患者さんに、肝や肺などへの再発が起こり得ることが知られています。これをできる限り抑える手段として術後半年間の化学療法が標準化されており、当科では患者さんの年齢や併存疾患有無などに合わせて、担当医と治療選択を相談しています。

大腸癌の手術について教えてください。

大腸癌に対する治療方法の中で、最も有効なものが手術です。他臓器に転移の無い場合やあったとしても切除可能であれば、全て手術による切除が検討されます。手術には開腹手術と腹腔鏡下手術があります。おなかに小さな穴を数カ所開けて、そこからカメラや鉗子を入れて、おなかの中の様子を大きなモニターに映し出して手術をするのが腹腔鏡下手術です。開腹手術に比べて、おなかの傷が小さく、手術後の痛みも少なく回復が早いという長所があります。進行度が高い場合など広範囲の切除を要する場合には開腹手術を選択するなど、癌の根治性と手術侵襲のバランスをよく検討し、両者のアプローチは決定されます。
一方、大腸癌の中でも排便機能に関わる直腸にできる直腸癌の場合、癌の根治を優先させるために人工肛門(結腸の断端をお腹に縫い付けて、お腹から排便を行うようにするもの)を選択せざるを得ないこともあります。人工肛門は決してQOL(生活の質)を落とすものではなく、適応があれば十分なインフォームドコンセント(説明と同意)の上、術前術後を通して丁寧なサポートを行っています。また、直腸癌は結腸癌と比較して再発率も高く、進行度によってはすぐに手術を行うよりも術前に化学放射線療法を行って手術に持ち込んだ方が、再発が少なくなる場合もあります。このような場合、「手術ができること」と「癌が治ること」が必ずしも同じではなく、進行度を含む癌の病勢や年齢、併存疾患、身の回りのことがすべて自分でできるかなどによって、個々に最適な治療を組むことが大切です。当科は三重大学医学部附属病院消化管外科の関連病院であり、放射線治療など大学でないと導入できない治療はスムーズな連携で、最善を尽くすよう心掛けています。

人工肛門を可能な限り回避する方法はありませんか。

排便機能をつかさどる肛門括約筋付近に腫瘍が存在する場合(肛門から約4cm以下の距離)の標準的な術式は永久人工肛門(直腸切断術)になります。ただし、大腸・肛門の専門施設であれば、一定の条件のもと内括約筋を切除し、残った結腸を肛門皮膚に吻合する究極の自然肛門温存手術(ISR;括約筋間直腸切除術)も行われています。ただし、繊細な手術方法であることから一時的な人工肛門を造設する2回の手術(はじめに直腸癌を切除し、一時的人工肛門を造設、数ヶ月後に人工肛門を閉鎖して自然肛門から排便を可能にする)が必要で、術後の排便機能低下もあって慎重な選択が必要です。当科では三重大学医学部附属病院消化管外科で行われてきたISR手術を導入しており、選択肢になり得る場合は患者さんと十分に話し合って受け入れを決めております。

患者さんのための大腸癌治療ガイドライン2022年版 大腸癌研究会編 金原出版から引用

他臓器にはじめから転移のあるステージIVや癌が再発した場合の治療について教えてください。

治癒切除不能の多発転移・再発の場合、化学療法を駆使して、いかに癌の進行を遅らせるかが、治療目標になります。そのための抗癌剤の開発が目覚ましく、毒をもって病気を制御しようとする古典的な殺細胞性抗癌剤から、癌が増殖するメカニズムを研究して開発された分子標的薬と、ここ20年程の間にいくつもの抗癌剤が登場しています。これら抗癌剤の組み合わせによる化学療法レジメンが多数存在し、それらを患者さんの状態や癌そのもの遺伝子型により使い分けていきます。現在ではこれら治療法は「大腸癌治療ガイドライン」としてその指針が示され、古く問題とされた治療成績の施設間格差はほぼ解消されています。
 一方で、進行・再発大腸癌治療においては、当初治癒切除不能であっても、化学療法が著効して完全切除に至った症例や、化学療法を行いながら適宜、転移巣の切除や熱凝固療法など複数の治療手段を組み合わせた症例では、完治あるいは非常に高い延命効果を示す場合があることも知られています。しかしながら、どのようなケースでどのタイミングでどういう治療手段を選択するかなど、これら集学的治療に統一した見解は乏しいのが現状です。
 私は2017年まで、大学病院にて大腸癌診療を専門とし、一貫して消化器癌に対する臨床・研究活動を行って参りました。とくに大腸癌集学的治療をライフワークとし、チーム医療で様々なエビデンスを発信してきました。大学病院における徹底的な癌治療の経験は地域医療において現代医療の限界を見極めてより深く患者さんに寄り添うことができます。当院のような地域中核病院では、80歳あるいは90歳以上の癌患者さんも多く、多様な患者背景から全人的ケアと多くの選択肢が必要です。高度な医療手段は大学病院と連携ですが、必ずしもガイドライン通りである必要はなく、深い知識を駆使したバランスが肝要と考え、日々診療にあたっています。

患者一人ひとりにあわせた治療法を考える上で大切なことは何ですか?

患者さんの背景は多種多様であり、高齢者など受け入れられる治療は個々で大きく異なります。当院では、科学的な根拠を大切に、患者一人ひとりにあわせた最適ながん治療を提供しています。そのためには、JONSENらの4分割法を用いた臨床倫理カンファレンスの概念が大切と考えています。すなわち、①医学的適応(患者さんの医学的な問題)、②患者さんの意向、③QOL(患者さんの人生観・価値観・死生観)、④周囲の状況(家族や友人等の問題、経済面など)、を多職種(医師、看護師、薬剤師、栄養士、理学療法士、ソーシャルワーカーなど)で常に検討する。これらを加味して、患者さん個々に最適な治療を提供致します。

最後に読者にメッセージをお願いします。

宇宙飛行士の山崎直子さんのエッセイで心に残っている言葉があります。彼女は高校生の時に授業で出会った英語の詩を今なお大切にしているそうです。「変えられないものを受け入れる心の静けさと、変えられるものを変える勇気。それらを見分ける英知を与えてください。」という祈りの詩です。宇宙飛行士となってから飛ぶまでの11年間、スペースシャトルの事故で宇宙計画が中断された時も含め、ひたすら待つ日々を支えてくれた詩だそうです。癌になったことは変えられませんが、その後の生き方は患者さん自身で切り開くことができます。私たち医療者がその支えとなり、生きる勇気を持てるような気概のある治療を今後とも提供して参ります。